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2. アメリカ

2. アメリカ

 アメリカの科学技術政策に大きな影響を与えたのが、1957年のソビエト連邦による人類初の人工衛星の打ち上げである。これに強烈な衝撃を受けたアメリカ政府は、先端情報通信分野の基礎的技術開発と科学技術関連情報の整備に着手した。国防総省(DOD)内に高等研究計画局(DARPA)が設置され、国防総省(DOD)、航空宇宙局(NASA)等を中心に膨大な予算がつぎ込まれてきた。
 80年代には、産業分野での製造技術に関して、日本の高品質製品に対する脅威が叫ばれるようになり、1985年のヤングレポートでは、新技術の創造と保護、通商政策の重要性等が指摘され、プロパテント政策が本格化した。また、製造技術については官民挙げて日本型生産・経営システムの研究が活発に行われた。
 このような経緯を受け、クリントン=ゴア政権が誕生した1990年初頭は、冷戦の終結や、知識経済への転換の時期と相俟って、情報政策の強力な導入・推進が求められた時期であった。これまで軍事・宇宙技術開発中心に進められてきた科学技術研究を産業応用に転換することで産業競争力強化に主眼が移ってきた。例えば、CALSは、国防総省が1985年頃から軍事兵器の設計・製造データをライフサイクルにわたって管理するというのが目的であったが、その後主管が商務省となり、クリントン=ゴア政権の情報政策下では一般製造業を対象としてCALSデータを提供するCALSライブラリの実用化の取り組みが行われている。
 このように、現在のアメリカ情報政策の素地となったのは、軍事・宇宙開発技術研究と、主に1980年代から始められた産業競争力強化を目的とした調査・研究であったと考えられる(図表2-1)。本章ではこのような文脈を踏まえ、クリントン=ゴア政権以降の米国の情報技術研究の政策を概観する。

図表2-1 産業政策・情報技術政策に関する主な出来事(1957年〜現在)
西暦 主な出来事
1957年 ソビエト連邦、人類初の人工衛星打ち上げ成功。以後、米ソ宇宙開発競争時代へ
1969年 高等研究計画局(ARPA)、分散型コンピュータネットワークの研究
1979年 大統領「産業技術革新政策に関する教書」を発表
1980年 スティブンソンワイドラー技術革新法成立(Stevenson ミWydler Technology Innovation Act of 1980)
1985年 大統領産業競争力協議会「ヤングレポート」発表
1986年 連邦技術移転法
1987年 1月 大統領年頭教書で、科学技術振興の計画推進を発表
1989年 9月 科学技術政策局(OSTP)「高性能コンピュータ技術プログラム」発表
1991年12月 HPC法成立。5年間の時限立法(High Performance Computing Act of 1991)
1991年12月 高性能コンピュータ通信法案成立を受けてHPCC計画開始
1992年 情報基盤・技術法成立(Information Infrastructure and Technology Act of 1992)
1993年 2月 国家競争法成立 ( National Competitiveness Act of 1993)
1993年 2月 ゴア副大統領、NIIイニシアティブを発表
1993年 4月 連邦科学工業技術調整会議(NCCSET)、FY94でNIIの支援を発表
1993年 9月 クリントン政権、NIIアジェンダ発表
1994年 3月 ゴア副大統領、GII構想発表
1994年 大統領産業競争力協議会「新たな基盤の獲得」発表
1995年 2月 情報サミット(ブリュッセル)でGII整備に向けた枠組み
1996年 電子情報公開法
1996年 SPCC計画終了。後継プロジェクトとしてCIC計画開始
1996年10月 ホワイトハウスNGI計画発表
1997年 2月 大統領一般教書演説でNGI積極支援を表明
1997年 ゴア副大統領「A framework of Global EC」発表
1997年 CIC計画FY98予算にNGIが新規追加
1998年10月 次世代インターネット法成立 (Next Generation Initiative Research Act of 1998)
1999年1月 ホワイトハウス「Information Technology for the Twenty-first Century (IT2)」発表
1999年2月 大統領がFY2000予算で、IT2のイニシアティブによるHPCC計画の拡張を提案
2000年2月 HPCC計画とIT2計画を合併してIT R&D計画に改称
IT2計画の強化継続策であるNITRD法案予算が下院で認可

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