社長対談SO-
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社長対談 「日本における情報産業の構造的課題」
内田俊一 氏
第五世代コンピュータ
鶴保●米国と比較して日本の情報産業が立ち遅れている原因のひとつに、産官学の連携構造の違いが指摘されています。そこで今回は、日本の先端情報技術開発における産官学連携の先行事例であった「第五世代コンピュータ」のプロジェクトに携わり、引き続き先端情報技術研究所において調査研究を主導なさっている内田俊一さんをゲストに迎え、米国との比較を通じて浮かび上がってくる、わが国の情報産業、とくにソフトウェア産業が抱える課題などについて、議論を進めます。 まず始めに、1982年にスタートした第五世代コンピュータプロジェクト立ち上げの背景や意義はどのようなものであったのか、簡単に振り返っていただきたいと思います。

内田■第五世代コンピュータプロジェクトが立案される以前から、電総研(電子技術総合研究所)ではその土台となるパターン認識やAI(人工知能)指向のアーキテクチャの研究が盛んに行われていました。VLSI(大規模集積回路)を使った新しいコンピュータIBM360が開発された時には、こうしたコンピュータの上で新しくAI技術を展開すればAIの実用化が可能ではないか、という仮説が立てられ、パターン情報処理システム開発を目指すナショナルプロジェクトが実施されました。このプロジェクトは第五世代コンピュータプロジェクトの動機づけになったと思います。

パターン情報処理システム開発プロジェクトでは、文字読み取りや指紋認識などの技術が開発・商品化され、この分野の日本の技術力を世界のトップレベルに押し上げました。しかし、コンピュータ自身が知識を持って「考える」というようなAIの本質的機能は、思ったほど実現できませんでした。確かに当時の最新のコンピュータは計算パワーやメモリ容量は増大していましたが、AIの本質的問題を解くにはノイマン型の計算方式に代る新しい方式のコンピュータが必要だ、という認識に達したのです。

そこで、出てきた答えが「推論するコンピュータ」でした。つまり、コンピュータ自身が知識を持ち、それを用いて推論するわけです。論理学の世界では、これに近いモデルができていたので、それに基づきハードウェアおよびソフトウェアを最新の実装技術で再構築しようというのが、第五世代コンピュータプロジェクトであったわけです。

そのころ、米国では「AI冬の時代」と言われていました。いろいろ喧伝されていたAIによる音声認識や自動翻訳などの成功の目処がなかなか立たず、AIに関する予算が軒並み削減されていた時代でした。それだけに、米国がうまくいっていない分野に日本が挑戦するということで、米国や欧州諸国に大きなインパクトを与えました。さらに、当時は、日本企業がテレビや自動車で世界のマーケットを凌駕し、半導体の世界ではDRAMが米国のマーケットでトップシェアを占めるなど、日本経済のいちばん華やかな時代でした。

しかしその一方で、日本は米欧のアイデアのコピーキャットにすぎない、という批判もありました。そういった汚名を払拭する意気込みもあって、日本オリジナルの技術開発と国際貢献を旗印に産官学を挙げて取り組んだのが、第五世代コンピュータプロジェクトで、内外のマスコミにもずいぶん騒がれました。このプロジェクトは10年計画でしたが、1年延びて93年に終了しました。その後、得られた主要ソフトウェアの成果を市販の並列マシンの上に移植して普及をはかる後継プロジェクトが2年あり、通算13年のプロジェクトとなりました。
 

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