まえがき
先端情報技術研究所が平成7年10月に設立され、翌年の平成8年度から、「わが国が行う情報技術研究開発のあり方」に関する調査研究が開始された。それから、早や8年が経過した。
この8年間は、IT革命が始まり、そして、その第一段階が終結するという期間であったと考えられる。そして、今、IT革命の第二段階が始まろうとしているように思われる。
この8年間に、インターネットが急速に普及し、それによって地球はいろいろな意味で小さくなった。グローバルマーケットの成立は企業活動に大きな影響を与えた。生産者と消費者間の距離が縮まり、ユーザニーズを素早く捉え製品に反映することが企業生き残りの条件となった。時間と距離の短縮は、製造業の部品調達の世界市場への拡大と下請け構造の崩壊を招くなど、産業構造の変革をもたらした。デジタルエコノミーの世界の実現である。また、その影響はわれわれの身辺にも及び、行政サービスのインターネット化、電子政府の構築などが世界各地で進行した。
そして、今、インターネットはさらなる進歩を遂げようとしている。その一つがグリッド・コンピューティングである。電力網において、電力を余裕のある個所から不足する個所へ送電し、余剰電力を有効利用するのと同様に、インターネットに接続されたコンピュータ群を計算資源と見て、その余剰計算能力を融通しあう仕組みが実現しようとしている。
また、ソフトウェアの開発方法として、ソース・プログラムを公開し、多くのソフトウェア研究者、技術者が、半ばボランティア的に集まり、ソフトウェアを開発するというオープンソースソフトウェアプロセス(OSSP)という手法が広く行われるようになった。Linuxやグリッド・コンピューティングのためのミドルウェアもそのような方法で作られている。
このようなインターネットの普及やソフトウェアの開発方法の進歩の中で、わが国は情報先進国の地位から脱落してしまった。世界の最先端からの遅れは、縮まるどころか拡大方向にある。その上、従来は情報技術の後進国であったアジア諸国、特に、中国の台頭が著しい。わが国もe-Japan計画などを実施し、国を挙げて、ソフトウェアやIT技術の研究開発を加速しようとしているが、その効果はあがっていない。
「わが国の情報技術の研究開発のあり方」の調査を進めるに当たっては、米国を中心に、その国のIT関連技術開発の仕組み、法制度を調査した。まず、米国のIT関連研究開発を、その開始から、発展段階、そして、その成果の商品化、さらにそれに基づく市場創成までの段階を追跡した。
また、米国の産業の新陳代謝を進める仕組み、法制度も調査し、わが国の仕組み、法制度と比較することで、わが国の抱える問題点を明確化し、その改革提言を行った。
昨年までの調査により、米国では、優れたアイデアを捉え、研究開発をスタートさせ、発展させて、得られた成果を商品化し、市場を創出するという、一連の流れを省庁連携によって、連続的に支援する構造が存在することを明らかにした。
われわれは、この構造をフロントランナー構造と呼ぶこととし、この構造こそが米国をして、ITやバイオテクノロジーなどの先端技術領域を一早く開拓し、先端産業の覇者たらしめるものであると結論づけた。
わが国の研究開発は、このような省庁間連携はもとより、産学官の連携も効果的に行われておらず、また、研究の管理方法や予算使用上の制約も多く、その上、人件費に間接費を算入できないという、米国の合理的な仕組み、法制度とは、比べることができないほど時代遅れのものであることが判明した。また、成果管理規則についても、箱物作り時代の制度が生きており、ソフトウェアやIPRなどの無形物が大きな付加価値を持つ時代には全くそぐわないものであることもわかった。
このような研究開発環境では、いくら研究者が努力しても勝敗は明らかで、このような調査結果を得たことで、本調査研究の目指した、わが国の情報技術の研究開発投資に対する成果の少ないこと、効率が上がらないことの主要な原因を究明し得たものと考えた。そして、これにより、当初の調査活動も一段落したものと考え、本調査事業を本年度で終了することとした。また、同時に研究所もクローズすることとなった。
今後は、このような調査結果を基とする改革提言の実現のための努力が残されている。できるだけ多くの関係者に上記の調査結果と改革すべき点を知ってもらうことがその第一歩である。
本年度は、本調査の最後として、このようなフロントランナー構造の実現上、最も実現が難しいと考えられる省庁間の協調と連携について、米国の仕組み、法制度をさらに調べることとした。また、わが国のソフトウェア産業に将来大きな影響を与える可能性のある中国のソフトウェア産業や市場、およびソフトウェア技術についての調査を行うこととした。
先端情報技術開発の動向については、例年どおり、高速コンピューティングと通信についての調査WG(HECC-WG)と、人間主体の知的システムについての調査WG(HCIS-WG)により、調査を実施した。特に、上で述べたインターネットの概念拡張を伴う発展形であるグリッド・コンピューティングについての調査、および大規模化、複雑化が進むソフトウェアの生産性向上を基礎理論から追求し、新しいソフトウェア工学を構築することを意図したNITRD計画の新テーマ、Software Design and Productivity (SDP)に注目し、その現状を調査した。
本調査報告書は、当研究所の作成する最後の報告書となる。そこで、簡単に本調査事業を開始した動機と実施体制、そして調査結果の概要を最初の章にまとめておくこととした。
ITに限らず先端技術開発に関する先進国の地位をとり戻し、技術立国を可能とするためには、常に先進諸国の研究開発動向やその仕組み、法制度について継続的な調査を実施し、研究投資の増額や人材育成と同時に、仕組み、法制度も進化させることが不可欠である。
当研究所が実施してきたような調査や改革提言を行う組織が再び作られることを願うものである。