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3.3 高機能ユーザインタフェースにおける予測技術の進展と課題

 情報処理技術のさらなる高度化を追求していくにしたがい、ありとあらゆる情報処理技術の根幹に、因果関係/依存関係という壁が立ちはだかっていることをより強く実感することができる。

 例えば、一般的なプログラムを考えてみる。プログラム中には、条件分岐文が存在する。条件分岐文は、ある条件に従って、Aという処理を実行するのか、Bという処理を実行するのかを決定する制御文であり、条件分岐が確定するまでは、AもBも実行することができない。この因果関係/依存関係が、プログラム並列化における最大のネックとなっている。このように、「ある事象」と「別のある事象」との間には、因果関係/依存関係が存在し、因果関係/依存関係のために、プログラムであれば並列化ができない、という問題が生じている。このような、因果関係/依存関係に起因するさまざまな問題を克服するために、本節では、「予測技術」がどのような役割を果たすかについて検討すると共に、ユーザインタフェースにおける予測技術についての代表例を紹介する。

 

図3.3-1 プログラムにおける依存関係

 

3.3.1 因果関係/依存関係

 情報処理技術は、何らかの形のインタラクションの組合わせを対象として問題解決を行なっているとみなすことができる。例えばユーザ・インタフェースであれば、「人間と計算機とのインタラクション」である。

 個々のインタラクションは、因果律に基づく逐次化/遅延等、様々なインタラクションのオーバヘッドを情報処理に持ち込む。その結果、ユーザインタフェースであれば、「すべてを明示的に指示しなければならない使い勝手の悪いユーザ・インタフェース」という問題が生じる。このような問題は、インタラクションの扱いの不十分さゆえに引き起こされていると考えることができる。

 一方、我々の社会活動では、無数の構成員のあいだで、やはり多くの複雑なインタラクションが生じているにもかかわらず、人々は比較的独立に行動し、その結果、巨大な並列処理が大きな破綻もなく行なわれている。この違いはどこにあるのだろうか?

 これまでの情報処理は、すべてのインタラクションを同等に重要な物としてあつかう、無数の厳格なインタラクションの体系化であった。これに対して、人間は、重要なインタラクションとそうでないインタラクションを適宜うまく使い分けている(図3.3-2)。図に示すように、人間は、フルインタラクションで他人とコミュニケーションをせず、パーシャル(部分)インタラクションをしていると言える。

 つまり、人間は予測に基づいて行動し、予測の容易な、いいかえると、情報量の少ないインタラクションを、インタラクションの内容の予測と、予測に基づいた投機的な行動に置きかえている。このようにして、重要性の低いインタラクションを除去することにより、インタラクションを適切に最小化しているのである。人間は、インタラクションを適切に最小化することにより

 

・インタラクションが少なければ、待たなくて良いので速くなる

・インタラクションが少なければ、余計な指示のやり取りがいらない

 

などの多くの利点を得ている。

 

image682.jpg (259082 バイト)

 

図3.3-2 フルインタラクションとパーシャルインタラクション

 

3.3.2 予測技術/投機処理技術

 一方、現在の情報処理技術においても、予測技術/投機処理技術の応用が始まろうとしている。マイクロプロセッサ技術/コンパイラ技術においては、分岐予測/投機実行などの技法が、並列性抽出のための技法として導入されようとしている。これらは、命令間ないしスレッド間のインタラクションを減らすことによって並列性を抽出していると考えることができる。いっぽう、ユーザインタフェースの研究分野では、計算機側がユーザのインタラクションを予測し、不要なインタラクションを減らすことによって、より使いやすい計算機の実現が目指されている。

 インタラクションの最小化という考え方は、高性能プロセッサアーキテクチャ/コンパイラ技術から、グローバルコンピューティング/高機能ユーザインタフェースにわたる、幅広い情報処理技術に適用可能な、一般性の高い重要な概念であると考えることができ、これらの技術を大きく革新するための共通基盤技術となりうるものである。以下では、予測技術の、ユーザインタフェース分野での活用について代表例を紹介する。

 

3.3.3 IBMアルマデン研究所

 本節では、IBMアルマデン研究所(http://www.almaden.ibm.com/)の例を紹介する。

 IBMアルマデン研究所は、IBMが持つ8つの基礎研究所の一つであり1986年に米国サン・ホゼに設立された。現在約700名の研究者が在籍し、コンピュータサイエンスの基礎から応用研究(Computer Science)、磁気及び光ディスク技術(Storage)、物理物質科学技術/科学技術応用ソフトウェア(Science&Technology)の3領域で基礎研究を行っている。

 CS(Computer Science)領域では、「人と情報との結合」をミッションとする。CS領域は、さらに、Cyberspace, Database Systems, Ease of Use, Foundations, Multimedia Systems, Storage Systems に分かれる。この中で、予測技術に基づいた各種研究を行っているのが、Ease of Use の部門である。

 Ease of Use部門は、ユーザインタフェースの新しいパラダイムの創出を狙う部門であり、人間工学を一貫して研究しつづけるIBMフェローでもあるTed Selkerがマネジャーを勤める。同氏は、ブラウン大学応用数学科を卒業。ニューヨーク市立大学でPh.Dを取得し、米国アタリ、ゼロックスの研究所を経て1985年にIBMワトソン研究所に入社している。また、一般的には、IBMのノートパソコンThinkPadに搭載されているTrackPoint (キーボードのB, N, G, Hの真ん中に位置するマウスの代わりの機能を提供するポインタ)の開発者としても知られる。

 Ease of Use部門では、大きくSUITOR, TrackPoint, PAN, WBIのプロジェクトが現在走っている。

・TrackPoint

TrackPointは、先にも紹介したように、IBMのノートパソコンThinkPadに搭載されているマウスの代わりの機能を提供するポインタであり、既に実際の製品で利用されている技術である。また、この技術は、TrackPointマウスで利用されたり、Tactile TrackPointのように、ユーザに対して感覚を返して、例えばマウスの移動速度等へ応用するなどの開発が行われている。さらに、Two-Handed TrackPointという興味深い研究もある。キーボード上のJ, K, MとD, F, Cの真ん中に、TrackPointを置き、ユーザは、これら2つのTrackPointを同時に使う。例えば、ドローイングツールで、右側のTrackPointでオブジェクトをつかみ、左側のTrackPointで、色を塗るなどの処理をすることが可能になる。

 

図3.3-3 TrackPoint

 

・SUITOR (http://www.almaden.ibm.com/cs/blueeyes/suitor.html)

SUITORは、「Simple User Interest Tracker (シンプル・ユーザインタフェース・ティッカー)」の略で、目の動きをカメラで追い、そこからユーザの関心を把握して、必要な情報を出すシステムである。例えば、ユーザがWebをブラウズしているとすると、SUITORは、そのユーザがWebページのどこを読んでいるかを追跡することによって、そのページと同じトピックを持つ追加情報を自動的に探すのである。このように、人間がコンピュータに命令するのではなく、ユーザは、ただ普通にコンピュータを使えば、コンピュータの方で人間のその時点での興味に応じて色々とやってくれるインタフェースのことを「プロアクティブ(Proactive)」なインタフェースと呼ぶ。

 ・PAN

PANは、Personal Area Networksの略である。1996年11月に発表された技術ではあるが、非常に興味深いものであり、現在も研究が進行中である。PANは、人間が持つ伝導性を使って人間どうしが接触(握手程度)することでデータを送ってしまおうというものである。試作実験では、1nA (人間自身がもつ電流より小さい)を使い、2400bpsのモデムの性能を達成している。理論的には、400Kbps程度の性能達成が可能である。例えば、名刺交換が握手をするだけでできたり、公衆電話に触れるだけで自分のCALLING CARD番号を自動で入力させたりできる。

 

図3.3-4 Personal Area Networks

 

・WBI (http://www.almaden.ibm.com/cs/user/wbi/wbipaper.html)

WBIは、Web Browser Intelligenceの略である。Web Browserとアクセス先のWeb Serverの間に入り、ユーザに対してそのままのWeb Serverの情報を見せるのではなく、例えば、ユーザが興味を持っているリンクの色を変えたり、アクセススピードによって、色を変えたりすることができる。

 

 このように、Ease of Use部門では、「プロアクティブ」なインタフェース、「insitu-computing」等の基礎的研究を行っている。

 プロアクティブなインタフェースとは、コンピュータの方で人間のその時点での興味に応じて色々とやってくれるインタフェースである。insitu-computingとは、in situation computingの略であり、人間がコンピュータにあわせて操作方法を変えるのではなく、「コンピュータが人間がやりたいことにあわせて変わる」ことをinsitu-computingと呼ぶ。例えば、触れると壁にお気に入りの絵を映し出し、音楽を流してくれる「テーブル」などを示す。

 

3.3.4 本分野の課題

 本節では、IBMアルマデン基礎研究所における研究を例にとりながら、高機能ユーザインタフェースにおける予測技術の進展について述べてきた。

 これまで紹介してきた基礎研究課題の重要ポイントは、「人間が何をしたいのか」という点にある。これがわかるようになれば、上記のような技術開発も夢ではなく実際に利用され、役に立つ技術となることが予想される。

 すなわち、ユーザインタフェースにおける予測技術研究では、

 

・人間の行動自身の研究

・予測アルゴリズムに基づいた試作・実験の繰り返し

 

 が重要となると考えられる。

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