知識処理の問題に限らず、NP完全、NP困難な問題に対して効率的(tractable) な近似解法を明らかにすることは、計算アルゴリズム研究一般について極めて 重要な方向である。我々が最初に開発した重み付き仮説推論に対する準最適解 計算の多項式時間推論法は、0-1整数計画の非常に良い近似解法である E.Balas による掃出し補数法(pivot and complement method)を利用したもの であった。これは仮説推論の問題を、ゴールの証明に関連する知識部分のみを 切り出してまず数理計画の問題に変換し(制約知識の不等式表現)、実数領域 での最適解を効率的な単体法(simplex method)で求める。そして、この最適実 数解の近傍を巧妙な方法で局所探索して(準)最適な0-1整数解を見い出す。 インプリメントしたシステムによる実験的評価では、可能な要素仮説数をNと すると、Nの約4乗のオーダの多項式時間で準最適解を求めることができ、か つ得られる準最適解も非常に良いものである。ここで準最適解とは、解仮説に 含まれる要素仮説の重みの和が必ずしも最適(最小)でないという意味であり、 ゴールを証明するのに十分な無矛盾な仮説の組という論理的制約を満たす解で ある。
この手法は知識処理の推論問題を整数計画の土俵に移して解いたものだが、こ のままでは内部の動作がブラックボックス的になってしまい、知識の構造を利 用した更なる改善が難しい。そこで、次に創案、開発したのがネットワーク化 バブル伝播法(NBP法)である。これは掃出し補数法と等価な動作をネットワー ク化した知識上で動作させて目に見える形にし、かつ知識構造を利用して効率 の改善も実現した手法である。インプリメントしたシステムによる実験的評価 では、Nの2乗オーダ以下の多項式時間推論を達成している。このネットワー ク化バブル伝播法は、述語論理表現(領域限定述語ホーン節)の仮説推論へも 適用できるように拡張を図っている。この拡張では推論の深さの段階的拡大と 共に、我々の先行研究の成果を活用して、演繹データベースの手法であるQSQR 法の利用による冗長な推論の排除のメカニズムを取り入れている。
人工知能分野では確率的に準最適解を求める手法としてシミュレーテッドアニー リング(SA)法や遺伝的アルゴリズム(GA)があるが、本研究の手法はこ れらとは異なり、一定の見通しを持った準最適解の高速探索法になっている。 また最近では局所探索法の有効性が再認識されてきており、制約充足問題 (CSP)や3-SATに対してHeuristic Repair MethodやGSAT法が開発され ている。本研究の手法は、単体法により最適実数解という非常に良い初期値 (initial guess)を得ること、探索の過程で多次元多面体中の0-1整数値の位 置だけでなく、その中間的な位置も取るという点でこれらにはない特色を有し ている。特に推論の初期フェーズで用いる単体法は、多くの情報を総合して素 早く妥当な解を導く人間の直観的推論のコンピュータ上での実現に相当してい るとも言えるものである。
このように優れた効率を有する重み付き仮説推論法の原理と共に、これまでに C言語により試作システムの作成を行なってきた。このソフトウェアは推論速 度の点では優れた性能を示しているものの、使用する仮想記憶領域が大きすぎ る点、ユーザインタフェースの点で不十分であった。このソフトウェアをC言 語で再インプリメントし、述語論理表現を扱うのに適する論理型プログラムと 組み合わせることで、本研究ではユーザインタフェースにも配慮して広く利用 できる形態のソフトウェアツールとしてまとめる。