オーム社 エレクトロニクス 2000年2月号掲載 (原稿:2000/01/09)

R&Dの新しい仕組み作りに挑む

─21世紀日本繁栄の基盤をどう構築するか?─

(財)日本情報処理開発協会 先端情報技術研究所
内 田 俊 一


21世紀は奇しくも情報革命の始まりとほぼ時を同じくして、その幕を開けることと なった。情報革命は、早くもそれが地球全体の経済、政治、教育などの社会活動や、 われわれの家庭生活のモデルまでも変革する勢いを見せている。

今やインターネットは人間のみならず、家庭にある電気製品や自動車などをもそのデ ィジタル網で結びつけようとしている。人間とインターネットの接点も、パソコン、携 帯電話、ゲームマシンなどその多様性を増している。 アメリカの21世紀情報技術開発 計画(ITスクェアド計画)では、現在、1億5300万人と3700万台のコンピュータや電子 機器を結合しているインターネットは、21世紀に入ってまもなく、10億人を結合するよ うになると予測している。 

インターネットが、われわれの社会活動の主要なインフラとなることは間違いないと ころであり、応用システムの中でも、金融、行政、医療、教育などのサービスを提供す る社会システムは、われわれにとって不可欠のものとなるだろう。また、各企業にとっ ても、インターネットは、関連企業間を結ぶのみならず、その顧客をも結ぶ神経網とな る。神経網の機能や性能の良否は、その企業の国際的競争力を決め、企業が地球規模の 競争の中で生き残れるか否かを決める大きな要因となる。社会システムや企業システム の良否はつまるところ、その国の経済的発展の鍵を握り、ひいては国民生活レベルにま で影響をおよぼすに違いない。

これらのシステムのほとんどの部分はソフトウェア技術を駆使して構築される。それ らは規模が大きく、複雑で、広域に分散した情報を扱い、さらに年々成長して行くとい うきわめて作りにくく、保守もしにくいシステムとなるだろう。このようなシステムを 構築するためのソフトウェア技術開発とソフトウェア産業の振興は、わが国の全産業の 情報武装のためにも、国を挙げての戦略立案とその実施体制作りが不可欠である。

現状は、ソフトウェア産業についてみても、また、情報産業全体を見ても、競争相手 である米欧諸国の企業に比べると、技術力やマンパワー、国際競争力などの点で劣勢に あると言えよう。そして、わが国の情報技術開発の仕組みや制度を米欧と比較すると、 そこにわが国のソフトウェア産業の弱さの元凶のひとつを見出すことができる。

アメリカの先端技術開発の仕組みをまとめると別表のようになる。ソフトウェア技術 はアイデアから物であるプログラムになるまでのプロセスが、それを開発する研究者や 技術者の個人的能力に大きく依存する。 また、その作り方も多様であり、工学的側面 もあるが、アートとしての側面も併せ持つ。 

このような性格を持つソフトウェア技術開発は、適性をもつ人材をできるだけ多く確 保し、先端的インフラと開発環境を準備して行う必要がある。これは科学技術研究に共 通する条件である。 しかし、ソフトウェア技術や情報技術の開発では、開発成果の商 品化や起業することが重要である。これらは必ずしも研究者にとって必須の条件ではな く、得意でないことも多い。したがって、このような産業のシーズとなる技術蓄積を促 進するためには研究者や技術者をその方向に向けるインセンティブも必要である。

アメリカの研究開発の仕組みを見ると、その上流域における大学や国研の充実度や、 プログラムマネージャをおいて、研究の初期段階でのテーマの絞り込みを行う点、基礎 的もしくは研究的段階の技術開発を国の負担で実施している点、また、下流域における 評価用実験システム構築を奨励している点、さらには商品化や起業の段階における「投 資」による支援制度など、その上流から下流、そして商品化段階に至るまでシームレス に支援策が準備されている。 また、それを一貫した、オープン&コンペテティブ、及 びフェアネスの精神、そして納税者利益への気配りで裏打ちしている。

一方、わが国の仕組みを見ると、まず、R&Dの上流域に当たる部分がほとんど欠落 していることがわかる。わが国の大学には研究を専任とするスタッフはいない。教授や 助教授は教育に多くの時間を割かねばならない。これは、わが国の特殊な会計制度と公 務員制度のおかげで、研究者を直接研究費で雇用できないことによっている。

  また、ここ20年以上にも渡り実施された公務員の定員削減により、大学も国研も研 究支援や設備管理などのスタッフのほとんどを失ってしまった。ソフトウェアの研究開 発の実施は、支援スタッフを含む研究環境を整備し、育成すべき人材を集めなければな らないが、これができない状況が今も継続している。

また、国の研究開発を企業に委託する場合においても、類似の問題が生じる。 すな わち、直接研究開発を担当する研究者に支払われる賃金分しか国の予算へ参入できず、 その研究者にかかる間接経費分は委託された企業の負担となるため、国から委託される 研究開発を実施すると企業は赤字を覚悟しなければならない。研究開発がビジネスとな るアメリカとは大きな違いである。

最近、徐々に整備されつつあるベンチャー企業の支援制度についても、日米では大き な違いがある。別表の中でも記載してあるが、アメリカの支援が基本的に投資であり、 武運つたなく倒産となっても起業者は自分の出資分を失うのみである。これに対して、 わが国の支援は融資や補助金が多く、起業者は担保や自己負担分の借入れが必要で、倒 産の時は負債が残る。米国の起業家のように倒産回数がベンチャー精神の旺盛さを証明 するプラスの評価となるような環境にはない。

従来、わが国の技術開発の仕組みは米欧の基礎技術開発成果をシーズとして導入し、 2番手ながら高品質の製造技術で競争を勝ち抜く、いわゆるキャッチアップ型であっ た。 しかし、情報革命の世紀を迎え、自ら新技術や新市場を創造するフロントランナ ー型へのモデルチェンジが不可欠となった。バブルの崩壊なども重なり、準備不足のま ま、情報革命の世紀を迎えねばならない少々つらい状況にあると言えよう。

しかし、国を挙げての仕組みや制度の改革についての国民的コンセンサスもできつつ あり、いろいろな制度改革を実施し、世界から人を集め、大学や国研を充実させ、ソフ トウェア産業を発展させるとともに、世界に先駈けて新しい情報技術やソフトウェア技 術を生み出せる仕組みを、粘り強く再構築してゆきたいものである。

明治維新から約100年、戦後から約50年、制度疲労を起こしている諸制度や習慣の改革 をスタートさせ、2000年は日本の技術開発制度改革の元年であったと後世において言わ れるような年にしたいものである。

(アメリカの仕組みについてのさらに詳しい資料は、当研究所の ホームページ www.icot.or.jp)へ)


米国の先端技術 R&D・市場創造への国の支援の仕組み

R&D 上流段階:基礎的・研究的な技術開発(アイデア着想から、研究開発の開始)


  1. 国の将来ビジョンとR&D戦略の明示、およびR&Dに適した国の会計制度(GAAPに準拠)
    • 現役の学界人や産業人からなる大統領直属の諮問委員会の存在と、その現実的政策提言
    • 各省庁のR&Dを横断的に調整・評価する強力な権限を持つOSTP,NSTP等の存在
    • 基礎的、研究的、中長期的な研究開発の国の負担による実施と、それによる産業のシーズとなる技術の蓄積
    • 国による先端技術インフラ整備と利用サービスによる充実した研究環境の提供
    • 開発者/研究機関にIPR実施料の3割程度を賦与、商品化優先権の賦与などの動機付け
    • 国の予算の使途や費目の変更などの柔軟性および管理の形式的手続きの徹底的簡略化
  2. R&D 戦略を実施する層の厚い研究コミュニティー(数万人)の存在とこれを活用する プログラムマネージャ(行政側にいるプロの先端研究者)の存在
    • 重点投資分野のトップダウン的明示とそれに呼応する研究コミュニティーからの
    • ボトムアップ的研究テーマ提案の適切なマッチングと調整機能(プログラムマネージャの活躍)
    • プログラムマネージャによる有望テーマ発掘競争とオープンでフェアな研究提案採択、その後の継続的なフォローによる技術開発方針の一貫性の維持、徹底した情報公開

R&D 中流段階:技術開発の発展・拡大 (ソフト・ハードを含む「物作り」の本格化)


  1. 技術開発の発展に伴うファンディングする省庁間のリレーと予算規模/開発体制の拡大
    • 各省庁の技術開発担当分野をオーバラップさせることによる複数省庁からの予算獲得とれらを合算して使用できる実質的、合理的会計方式(省庁間縦割りの弊害も解消)
    • 有望なテーマは、半ば自然発生的に中心となる担当省庁が移り変わる。予算規模拡大や企業の参加などの開発体制拡大がなされ、より波及効果の大きなプロジェクトに成長
  2. 研究代表者と担当プログラムマネージャ間の交渉により、研究目標や計画の変更などを複雑な事務手続き無しで迅速に実施できる現場の決定権限重視のプロジェクト運営
    • 必要な能力を有する研究者や支援スタッフを研究予算により適宜雇用でき、効率的なチームを構成可能。大学でも研究専任スタッフが雇用可能となり大規模な物作りが可能
    • 担当省庁の枠を越えて、類似テーマは横断的、競争的に進捗を比較・評価し、淘汰する
    • 国の予算による開発成果は(商品化等をしない場合は)原則オープン。開発成果は競争の勝者に継承され成果の規模を拡大し充実させる
    • 激しい競争は研究チーム間の合従連衡を促進し技術競争力を向上させる

R&D 下流段階:技術開発成果のまとめと評価(実用化を展望した実験システム試作)


  1. 客観的評価のためには、総合的、または部分的実験システム試作とデモは不可欠との認識
    • R&Dの最終成果の定量的評価を重視。実験システム試作が半ば義務つけられ、実用化・商品化の可能性や、逆に、継続や打ち切りに関する明確な評価結果を出す習慣が定着
    • 当初目標が達成不能で失敗した場合でも、その原因分析が行われ、評価結果を類似研究にも生かす他、基礎的、研究的段階へもフィードバックし上流段階を活性化する
  2. 本格的実験システム試作により、人材育成や技術移転の面でも大きなメリットがある
    • 研究者や学生が「物作り」を通して、新商品の創造や起業家への動機や自信を獲得
    • 実験システム試作への企業の参画が、大学、国研から企業への技術移転を促進

商品化・起業段階:成果の商品化と新市場創造支援(技術成果の売込戦略と資金調達


  1. 「税金を用いたR&D成果は商品化し市場に出すことで納税者への利益還元となる」というコンセンサスの存在と、これに基づく商品化、起業を“投資”による支援政策
    • 国による中小や一般企業への先端技術の商品開発支援投資(SBIRやATP)制度の充実
    • 大学等へのIPRの実施収入一部還元制度による収入を大学等がストックし先端技術の起業支援投資を実施(国や民間のベンチャー投資を補完)
    • 民間のベンチャー企業投資を促進するための税制上の優遇措置(エンジェル税制)
  2. 新技術を商品化したベンチャー企業の新市場の創造支援策
    • 連邦政府調達の30%を中小企業から調達する優先調達枠の設定によるフェアな競争
    • 国が新技術応用商品のアーリアドプタ(率先採用者)となり新規参入企業の経営を支援