3.3.1 高性能計算技術におけるブレークスルー 関口智嗣 委員
3.3.1.1 概要
通商産業省がとりまとめを行っている「経済構造改革アクションプラン」「コンピュータ関連基盤技術開発プログラムの策定について」において、下記の3つの点が今後の重要施策項目として検討が行われている。
(1) 電子商取引等、ネットワークを通じた様々なサービス等の実現のための基盤として情報通信ネットワークの一層の高度化
(2) ビジネスにおける情報処理ニーズの増大やシミュレーション等の科学技術計算分野からの要求に加えて、動画像等のマルチメディア処理等を用いたビジネスの発展等も見込まれることから情報処理の高速化・大容量化
(3) 情報通信システムを学生から高齢者まで様々な者が自由に使いこなせるような情報家電等のシステムの普及等の観点から、使いやすさの向上への対応
ここには、情報通信技術の技術的限界を突破して将来に向かっての可能性を拡大するものであって、新たな情報通信技術の応用分野を創出して我が国経済の発展、国民生活の向上に資することが期待される重要技術分野を抽出し、それらの研究開発の方向性を示すことにより情報通信の研究開発及び技術革新の促進を目的とした技術研究開発を行うという背景がある。これに対応して、高速ネットワーク、大規模大容量、ユーザビリティという観点から研究項目の検討がなされいている。特に、「大規模大容量」においては次世代のスーパーコンピュータや超高密度記録システム等に関連して下記の3項目に整理されるであろう。
(a) 超高性能計算機利用技術、革新コンピュータ技術等のHPC (High Performance Computing)技術
(b) 新薬、新材料等の設計、環境等先端シミュレーション技術といった高速化・大容量化が求められるアプリケーション技術
(c) 光デバイス技術(光磁気、オプトエレクトロニクス技術等を含む)、超高速デバイス技術(省エネルギー技術を含む)、高密度実装技術等のデバイス関連技術
情報技術発展の方向性を整理し、計算科学技術に代表される高性能計算技術ならびにネットワーク利用技術について動向を述べる。
図1 情報技術研究の方向性
図1に情報技術研究の方向性について整理を行った。大きく、生活密着型(コンシューマプロダクト)と産業基盤型(インフラ)という軸を与える。技術の分類とそれぞれを代表するであろうキーワードを割り振った。縦軸としてはデバイス技術に始まり、応用システムへの階層を想定した。このうち、いくつかのキーワードについてはすでにプロジェクト化が行われている。
これまでに幾度となく議論されているが、計算科学技術または情報技術的にいえばハイパフォーマンスコンピューティング(HPC)技術は基盤技術として、産業応用を支えている(図2)。HPC技術により、新機能材料、環境資源、半導体、航空宇宙などに応用できるソフトウエアが開発され、また広く使われている。もちろん、これらがすべて完成した技術ではない。従来のソフトウエアは従来のハードウエア・システム資源に依存した設計となっており、必ずしも、今後の新たな環境で高性能を発揮するものではない。
図2 HPC関連技術
もう少し具体的な研究課題を考えるために、電子技術総合研究所のHPCグループを例に取ったHPC技術の関連を図3に示す。すなわちHPC基盤システムアーキテクチャとして「ネットワークコンピューティング」と「クラスタコンピューティング」の両システムを対象のプラットフォームとしている。いずれも、今後の高速化されるネットワークとプロセッサの進展を取り入れることが容易なシステムアーキテクチャであり、発展が期待されている。計算科学のアプリケーションとしては、複数のスキームを同時に扱うマルチスケール手法やさらに複雑なフルフィジックスモデルが今後の対象となる。しかし、これらの問題点については後述する。さらに、プラットフォーム技術とアプリケーションの双方と深く関連するのが性能評価技術である。プラットフォームの特徴量ならびにアプリケーションの特徴量を与える性能評価モデルを設定することが重要な点である。性能評価を通じることにより、プラットフォームとアプリケーションが関連付けられ、「最適化」という言葉が意味を持ち、アルゴリズムやプログラムなどの良否を議論することが可能となる。
図3 HPC関連研究展開
3.3.1.2 HPC基盤システムとしてのグローバルコンピューティング
例えば、計算化学や構造設計などを実用規模で計算するためには、現存のスーパーコンピュータを越える計算性能が必須となる。さらに、ユーザにおいては様々なパラメータ設定を行い効率的にアルゴリズムを検証するために、従来のスーパーコンピュータのようにバッチシステムとしてバックエンドコンピュータとして利用するのではなく、自分のデスクトップからインタラクティブに解決したいという要求を持つ。これらの問題を解決するために、高速ネットワークで接続された複数の計算資源をデスクトップから自由に組み合わせて大規模計算資源として利用可能とするようなデスクトップネットワークコンピューティング環境を実現することが必要になる。これらの要求を満たすために、ネットワーク中の巨大計算資源や遊休資源をデスクトップから自由かつ容易に組み合わせて経済的に有効利用できるデスクトップネットワークコンピューティングの実現を計る。同様のことが、物質構造計算や流体力学など多くの応用にもいえる。これらの実現には、これまで未解決であったNetwork Enabled Server、Federated Resource Access、Network Transparent Programming、Performance Portabilityなどの新しい技術要素の開発が、不可欠である。
研究開発途上のグローバルコンピューティング基盤システムはインハウスの実験運用だけではなく、フィールドにおける実践的な運用の中から新たな一歩を踏み出す時期に来ている。セキュリティ、運用管理、スケジューリング等でまだ多くの研究課題を抱えている。また、分散メモリ型の並列計算機に対する効率のよいRPCを実装する必要もある。さらに、様々なグローバルコンピューティングと連携するためにはプロトコルの標準化が不可欠である。こうした実験に共同の実践の場が必要となってきている。
米国では官学連携のGRIDというグループが徐々に勢力を持ってきていることが知られている。GRIDはGRIDという単一プログラムが存在する一枚板のプロジェクトではなく、実際にはそれぞれの要素技術研究の集合体である。これを上手にコーディネートして、全体の流れを作っていき、大きな技術潮流を作っていくかという点が心憎いばかりにうまい。今後のネットワークアプリケーションを考えた場合にこうしたグローバルコンピューティングの研究は必須のものとなるであろう。さらに、日米間、日豪間などに国際高速回線が整備され、これを使った真の共同研究が求められるような状勢である。国内でも高速ネットワークの整備が進み、ネットワーク距離は徐々に狭まってきている。こうした高速ネットが手近に利用可能となると、グローバルコンピューティングの現実味が帯びてくる。しかし、グローバルコンピューティングはネットワークの管理設置、計算資源の提供、複数の協力者、がどうしても必要である。そのため、単独の研究拠点では展開することが困難である。例えば、卒業論文でグローバルコンピューティングに関係する研究をやろうと思い立っても、なかなか研究室では立ち上げるのが難しい。そこで、こうしたグローバルコンピューティングに携る人の裾野を広げること、グローバルコンピューティングの実験環境を整備し研究を加速することを目的としたグローバルコンピューティングテストベッド (GCT) が必要である。こうした活動は公的資金で支援すべき性質のものであると考える。現在は特別な運営団体や運営費を持たないボランティアベースである。このテストベッドのユーザとして期待されているのは、基盤システム開発者、ツール群開発者、応用ソフト群開発者である。エンドユーザ向の単なるサービスは提供されないであろう。特に、こうした基盤システムやツールを用いた応用ソフトウエアの開発には世界中から多いに期待される。
3.3.1.3 マルチスケール計算技術
近年の計算機能力の向上に伴う計算の大規模化と、計算手法、近似の信頼性の向上は、計算機シミュレーションにより「空間と時間についての強力な顕微鏡」として充分なところまで到達しつつある。材料設計や構造設計において今以上に、実験主導のスタイルから計算科学主導のスタイルにするためには、実験に伴われる不確定要素に起因する現象をも含んだ、起こりうる現象のできる限りの再現能力が必要である。計算科学の特色を生かしたより有効な最適化(設計)技術・解探索技術の確立が必要であり、今後のより一層の研究が望まれる。具体的なマルチスケール問題の典型例を図4に示す。
(1) ミクロでの現象のより精密な記述(量子力学など)をはかり、(2) マクロにおける実時間、実スケールでの現象取り扱い
が必要となるが、(1)との連続性の確保が必須となる。これにより、将来的には生体内反応など、より高次の現象の記述が可能となる。
図4 マルチスケール計算の例
材料の性質として強度や破壊を見る分野では別のマルチスケール技術が用いられている。ここでは引張強度が理論値と大きく異なることを理解するために発展した線形破壊力学理論、せん断強度が理論値と大きく異なることを理解するために発展した転位論である。これらの理論は連続体モデルに基づいて、有限要素法や境界要素法等が用いられる。さらに、物質の特性の記述ために、経験値(実験値)に基づいた構成方程式が必要となる。しかし、一般的に構成方程式では材料内部の原子スケールの構造を正確に記述できない。そこで、よりミクロなスケールからの原子モデルを用いることで構成方程式を構成することなくできる限り厳密に解析することが可能となってきた。まだ、計算機資源の問題やメモリの問題があり、十分に大きな系は扱えないが、今後は大規模アプリケーションのひとつとして期待される。実用材料の内部構造を十分正確に記述できるようになれば、それを元にして合金設計やさらにもっと広く材料設計への応用が可能となり、新材料の開発の効率化が期待される。
一方で計算科学として考慮すべき点は、例えば材料科学的にも次のようなことがある。情報技術としては直接扱う話ではないが、HPC技術の促進という意味では支援が必要である。まず、分子動力学やモンカルロ法など、すでに開発されている手法を用いて分子レベルで現実的な複雑な系について材料設計を行おうとすると、信頼できるポテンシャル関数や力場パラメターが手元にないことが多い。これにはポテンシャルに関するデータベースを作成することが研究効率の向上に有効である。次に、長時間(マイクロ秒かそれ以上)における凝縮系の動力学の計算は誤差の問題、計算時間の問題などがあり、新たな方式が期待されている。
しかしながら、マルチスケールにおけるモデルの融合とその際のアルゴリズム的発展の期待は非常に高まってきていると言える。この分野でのソフトウエア開発が先行して可能であれば、現在諸外国に先行されている産業基盤ソフトウエアでの立場が逆転することが期待される。
3.3.1.4 終わりに代えて
HPC技術の動向と情報技術における位置づけを記した。特にネットワークコンピューティングとマルチスケール計算技術の2点について状況を記した。公的資金による研究開発ならびにその準備としての各種委員会についてであるが、プロジェクトの包括的な方向性をどこかで議論を行い、その具体的な中身について研究者、行政側、大学等と議論を行う場が必要である。すなわち、個々の要素技術の寄せ集めではなく、グランドデザインがあり、これが産官学共同で立案できる性質のものが望ましい。そのためには、現在の委員会形式で年に数回議論を行い、報告書を作成するのではなく、1週間程度の議論・立案・作文を中心としたワークショップを合宿で実施し、一気にプロジェクト立案とそれぞれの参加者による想定される貢献を記録するところまで推進することを提案する。その後は、既存のワークショップ等を活用してアップデートを行っていけばよい。そうすることによって、アカデミアとして一体のプロジェクトが計画・実施できるのではないだろうか。